感動センスを磨く~涙を流せる私になるまで②~

感動センスを磨くには、まずやっておくべきことがあります。

 

それは、

なぜそのようになったのか、という出発をしることです。

 

出発を探るkeyは幼少期にあります。

三つ子の魂百まで、というように、よくも悪くも私たちの人生は幼少期の決断によって「自分」という規定をします。その上で人生を自ら作り上げてしまいます。

 

その幼少期の決断は、主に親子や兄弟など家族との関係から生まれたショック体験が始まりになります。

 

ちなみに私は、

「何をやってもどうせムリだ」

という根深いあきらめをつくってしまいました。

そのあきらめが生まれた背景を話します。

 

私の実家は自営業。

家の隣が工場で、家と職場が隣り合わせの環境で育ちました。

私が生まれたのが、1990年でバブルがはじけた年。私が幼少期の頃はまさに経営が傾き、どうしようもなく大変な両親。

息子にかまう暇なく大変な状況。

本当は母とのスキンシップを求めているにそうはいかない環境。

 

泣いて叫んでお母さんを呼んでもきてくれない。

家と職場が隣だから、お母さんの姿は見えるのに、きてくれない。

 

母の立場からすれば、例え子どもが泣いて叫んでいても、見えるところにいるから、いつも傍にいるつもりになっている。だから安心

してしまっている。

 

でも私はきてほしい。お母さんの胸元が恋しい。

だから泣いて叫んでお母さんを呼ぶ。

でもきてくれない。

 

後から聞いた話だけど、私は三人兄弟の末っ子。母からすれば、子どもが泣いて叫んでもどうてことはない。いつものこと。多少は放っておいても死にはしない。

それよりも会社をどうにかしないといけないことで頭はいっぱい。

たぶん私を抱いてくれたときも仕事のことで頭がいっぱい。

 

私は目一杯の愛情がほしい。

 

それで泣いて叫んで訴える

 

目の前に望みがあるのに、叶わない。

 

そんなことを繰り返すことで私は、

「何をやってもどうせムリだ」

「努力しても表現しても主義主張をしてもどうせムリだ」

というあきらめをつくってしまいました。

 

根っこがあきらめているから感情も沸きづらい。

そうすることによって、感じるセンスがどんどん麻痺していきます。

 

それが私にとって、涙を流せないということになってしまいました。

 

そういった姿から突破できた背景には、認識技術がありました。

 

続く。。