人生に対する姿勢態度
自分の人生とどのように出会っているのだろう。
先日、私はリライズセミナーという3日間のセミナーへ参加しました。
講師であるNoh Jeus氏が講義中にさらっと言った題名の一言が印象に残りました。
ぶっちゃけ、体が疲れていて、講義なんか聞いてられないー!
あー、だるいー!
と、なかなかのぐったりモードでした。
しかし、Noh Jeus氏からのこの一言で目が覚めました。
「私は、セミナー、Nohさん、受講生とどのように出会っているのだろう。」
モノ・コト・ヒトにおいて、どんな私になってどんな出会い方をするのか。
それがまさに「人生に対する姿勢態度」であると思いました。その姿勢態度で出会う瞬間瞬間が人生をつくっていくのだろうと。
まさにこの瞬間も。
この瞬間も大切にしたい。
瞬間の積み重ねが人生に感動を生み出す。
そんな人生にしていきます。
夢を描こう
先日、会社の教育研修のプログラムで「夢マップ」をつくりました。
じつ、夢を書くとか、すごく苦手で(^_^;)
悪戦苦闘しながら、項目を埋めていきました。
意外と埋められて!
自分でもびっくり👀
これも観点の障壁を突破できるnTechのお蔭ですね。
色々と夢は出てきましたが、ひとつ挙げるとすれば、、
学校をつくりたい!
というものです。
何を教えたいは全くまだわかりませんが、私自身の経験体験、そして真理を使って、人生を悩める人達の、アイデンティティーを変え、人生を変え、生き生きとできる場をつくりたいですね!
大体早くて15年後かな笑
だとしたら、10年後には、5年後には、1年後には、と自分自身の身の置き方が少しずつ見えてくるのですね。
理想が見えてくると同時に、現在地も見えてくる。
つまり、課題も見えてくる。
課題解決のための目標計画も見えてくる。
じゃあ、今、できることを考えはじめる。
現在地と理想地が明確になればなるほど、そこに至るまでの道筋がわかる。
まるで、線と線を繋いで、点になるかんじ。
こうやって、理想に向かって今を生きればいいんだというのが、おぼろげながらわかってきて。
夢を描く意味価値がわかってきました。
大事なのは、教育ですね!
さて、あなたの夢はなんですか?
自分という絶対領域
自分に自信はありますか?
私は、以前は全くありませんでした。
それはなぜか。
自分が何者かわからなかったからです。
自信がないって、自分のことがわからないってことだと思います。
本当の自分ってなに?
この問に対して答えをみつけるべく、ずっとさ迷ってきました。
絶対的な自信。
それが欲しかった。
nTechを学んで、それがわかりました。
本当の自分。
それは、絶対不可侵。絶対領域。
誰からも何からも侵されない世界。
何よりも神聖な場所。
いや、場所なんてものも存在しない。
有ではない。
何も決めつけられない。
名前もない。
もし名付けるのであれば、意志。
意志で人間はできている。
意志がわかれば、可能性が開ける。
絶対不可侵の自分がすべてをつくる。
書ける幸せ
最近ブログを書いていて、気持ちの変化が起きました。
「書けるってしあわせだ~」
そう思えたのです。
書けるとは、つまり表現できたということ。
人はきっと語りたいのだと思います。
語ることで、自分が何者かを知りたいのだと。
妄想や思い込みでも、言語にして文章にして、ストーリーが生まれて物語になる。
かたちないものをかたちにするってたのしい。
そんな最近の気付きでした。
いつか会おうではなくいま会おう
先日、母から電話がかかってきて、なかなかショックな話でした。
叔母の容態がよくないとのことでした。
末期の子宮がんが見つかって、放射線治療をし始めたのこと。ガンの進行状況として、摘出が無理なそうで、ガンと付き合っていかなければならないそうです。
母もはっきりとは言いませんでしたが、先は長くはない気がしました。
叔母は近所に住んでおり、小さい頃からよくしてもらっていました。
遊びに連れて行ってもらったことは数知れず。
しかし最近は、全く顔を出していませんでした。
こんな自分の姿では会わせられない。
と思って。
母を心配かけていてばっかだし。
まだまだ私の心も生活も安定しなくて。
何を言われるか、何を思われるか怖くて、ここ数年は会わずじまいでした。
しかし、叔母の容態を母から聞いて、真っ先に思ったのは、
なんでもっと会わなかったのだろう
後悔が浮かんできました。
よく実家へは帰ります。叔母の家は歩いて10分程。すぐ行けるのに、でもいかなかった。
悔しくなりました。また会えるや~。
甘かったです。
またはない。今しかない。
そんな気付きがありました。
GWは実家へ帰る予定。
叔母さん、待っててね。
書くことは人生の縮図
私は今、インタビューマガジンの記事作成をしております。
【リライズマガジン】
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36
↑私の記事まだアップできていませんが。
インタビューをして、文字起こしをし、記事を書く。
ライターになりました笑
いやー、大変でした😂
何が、、
記事が書けない
です。
インタビューして、文字起こしまではいいんですよ。特に文字起こしは考えなくても根気でできるから。
構成をつくって、書き出すと、タイピングがすぐ止まる。
あれだけ、構成をつくったときは、
「これいい~✨」
と思っていても、『書く』というアウトプットをし、カタチになった瞬間、雑念が止まらなくなる。
こんな文章は変だ
つまらない文章だ
全然おもしろくない
誰も読まれはしないよ
早くいい記事を書かなきゃ
記事を書く際の雑念コレクションの一部抜粋でした😅
書いたものをすぐ否定する癖がすごくて。
自分の書いたものをジャッジメントした瞬間タイピングが止まり、記事が書けなくなる。
その繰り返し。
いやー、ホントしんどかった。
泣きながらやりましたよ。
なんとか、記事作成仲間に助けてもらいながら、なんとかなりましたけど。
ひとつ思ったんです。
書くことって、人生そのものだって。
書いても「ダメだ」っと自分にジャッジメントをして、自己否定をし、行動をやめる。
ん?、俺の人生、この繰り返しじゃないか。
思っちゃったんです。
書くって、純度の高いアウトプットだと思って。
完成された文章もそうだけど、
書き方は生き方の圧縮バージョン
じゃないかと仮説が私の中で立ち上がりました。
書くってある意味、自分と向き合ってからのアウトプットになるから、瞬間的にね。
だから、その人の無意識の癖がそのまんま出ると思って。
だから、これ突破しないと人生かわらないなーって。
書き方変えれば人生変わる
そう規定してがんばった。
何をがんばって??
ただひとつ、
書く
以上。
ごちゃごちゃ言っていても、書かなきゃ動かないし、終わらない。
雑念が出ても書き抜く。
根性でも意地でも負けん気でもいい。
やる
それだけ。
やったら、動く。
やり続けたら、いつか終わる
僕もなんとか書ききった。
あとはインタビューイーさんの返事待ち。
今回の記事作成は、雑念に勝った。
次は、僕の人生の雑念に勝負しよう。
追伸:桜の季節となりましたね🌸
ワクワク*1
*1:o(^∇^)o
とらわれごとはまなびごと
日常のなかで、とらわれることはたくさんある。
相手の言葉、行動、態度をみて。
自分の至らなさを痛切に感じたり。
to doもやれずに自己嫌悪に陥ったり。
人を傷つけちゃったり。
思いつくだけでもとらわれごとはいっぱい。
とらわれて、流されてしまえば、何も残らない。
もし、変化したいのであれば、
起きたことを『学び』に変えること。
すべては自分がつくりたい宇宙のためにある。
とらわれたことも、すべて宇宙をつくる材料に過ぎない。
生きることすべてが。
生まれる感情ひとつも。
言葉にできた一声も。
すべてが学び。
あなたの未来のためにある。
一生感動
一生青春